普遍性?足を踏み入れたあらゆる土地で、Super大絶滅を引き起こしてきた人類を、賢治&シータと解く(終)

専業主婦のエッセイ
  1. ロンサム・ジョージやニホンオオカミは、幾度とない危機を乗り越え近現代まで生き延びた…
    1. ​1. 産業革命より遥か昔の「大絶滅」
      1. ​オーストラリアへの到達(約4万5000年前)
        1. アメリカ大陸への進出(約1万6000年前)
    2. 2. 農業革命による「地球の生態系の改造」
  2. ​宮沢賢治はどう捉え、どう生きたか
    1. ​「知る前」と「知った後」の、パンの重み
    2. ​「サウイフモノニ/ワタシハナリタイ」
    3. ​「かなわなさ」を受け入れた先の、身の丈の暮らし
  3. 「土」「地に足をつける」「生きること」「技術」「進化」これらの匂わせワードの行き着くところは…
  4. 1. 「支配した」つもりが「支配されている」という構図
  5. ​2. 「ムスカ」という、効率と力に魅せられたサピエンス
      1. 1. 「文字」と「虚構(ストーリー)」で支配する
      2. ​2. 生物の命を「ゴミ」と見なす冷酷さ
      3. ​3. テクノロジーを「全能の神」と勘違いする
    1. ​最後に「目が眩んだ」ムスカのメッセージ
  6. 今のところの、得所感想とどのつまり①
      1. ​現代の「バルス(閉じられた技術の解放)」のあとで
  7. 今のところの、読書感想とどのつまり②
      1. 農耕始めてからというもの、みんな単一の同じものを食べ続け過ぎ問題
      2. 「かっけ(脚気)」について…蔦重を思い出す
  8. くじけそう!サピエンス全史の感想を書くには、私の中で時期尚早すぎました(笑)

ロンサム・ジョージやニホンオオカミは、幾度とない危機を乗り越え近現代まで生き延びた…

ちなみに私は何の活動家でもありませんwwwスピリチュアルも信じません…

漠然と、環境や未来、AIにに対する興味と不安を感じる、ただの主婦です!!

そしてこれはロング・ベストセラー「サピエンス全史」を読んでの感想です💦

産業革命や、世界大戦、密猟、日本では戦後の経済成長からの自然破壊と公害…

そして地球温暖化による大きな影響!

などなど、言ってしまえば、恐竜絶滅以降、こんなに短期間広範囲大量絶滅と環境破壊が起きているのは、近現代のことだと思い込んでいました

この思い込み、実はまったく無理のないこと。

学校の歴史やニュースでも「近現代の工業化が地球を壊した」と習うことがほとんどですよね。

ですが、『サピエンス全史』が私たちに突きつける最もショッキングな事実の一つは、

サピエンスは、足を踏み入れたあらゆる土地で、産業革命の数万年前から大絶滅を引き起こしてきた」という、人類の暗い「普遍性」です。

近現代の破壊はその「スピード」が桁違いになっただけで、自然に対するサピエンスの破壊的な本質は、認知革命の時代からずっと変わっていません。

​いくつかの歴史的な事実を、振り返りたくないけど振り返ってみましょう。

​1. 産業革命より遥か昔の「大絶滅」

私たちの祖先がアフリカを出て世界中に広がったとき、行く先々で信じられない規模の大型動物の絶滅が起きました。

​オーストラリアへの到達(約4万5000年前)

当時そこには、体重200キロを超える巨大カンガルーや、有袋類のライオン、巨大なトカゲなどが暮らす独自の生態系がありました。

しかし、サピエンスが上陸してわずか数千年(地球の歴史から見れば一瞬)のうちに、体重50キロ以上の大型動物24種のうち、23種までが絶滅しました。

アメリカ大陸への進出(約1万6000年前)

サピエンスがマンモスやサーベルタイガー(剣歯虎)、巨大なナマケモノなどがいた北米・南米に足を踏み入れた結果、

北米では47属のうち34属、南米では60属のうち50属の大型哺乳類が消え去りました。

​これらは、工場も、排気ガスも、プラスチックもない、石器と火しか持っていなかった狩猟採集時代のサピエンスが成し遂げた(成し遂げてしまった)ことです。

2. 農業革命による「地球の生態系の改造」

続く農業革命(約1万年前〜)では、人類はただ生き物を「狩る」だけでなく、自分たちに都合の良い数少ない植物(小麦や米)と動物(牛、豚、鶏など)だけを爆発的に増やし、それ以外の野生の生態系を徹底的に排除・破壊し始めました。

家畜の部分を読むのが辛かった…

でもやめられない!毎日手に入らなくなったら困るから…

​森を焼き、平らにし、水路を引き、地球の表面を「人間のための食料生産工場」へと作り変えていったのです。

生物の多様性という観点から見れば、この時点で地球はすでに致命的な均一化(単調化)を強制されていました。

​宮沢賢治はどう捉え、どう生きたか

この「近現代のせいだけではない、人類そのものが持つ業(ごう)の深さ」を知ったとき、やはり私たちは言葉を失います。

しかし、この絶望的な事実を前にしても、宮沢賢治の生き方は私たちに一つの光をくれます。

農学者であった賢治は、今から100年前の、日本の工業化や公害(足尾銅山鉱毒事件など)が進む時代を生きていました。

彼は、近現代の科学技術がもたらす破壊の凄まじさに激しい危機感を覚えつつも、同時に「人間が生きるということは、そもそも自然の循環を乱すことなのだ」という本質的な悲しみを、誰よりも深く理解していました。

「いただきます」という言葉には、

仏教では「懺悔」、

神道では「感謝」

の意味があると聞いたことがあります!

​だからこそ、彼は単なる「科学文明の否定」や「昔は良かったという懐古主義」には逃げませんでした。​

賢治は、

自然をただ「手つかずのまま守る」のではなく、「人間が自然から命をいただくのであれば、その自然(宇宙)の大きな循環の一部として、最も調和の取れた方法で関わらなければならない」

と考え、理想の農業を模索し続けました。

​「知る前」と「知った後」の、パンの重み

「地球を壊してきたのは、ここ200年の近現代のエリートや工場だけではなく、数万年前から自分たちと同じサピエンスだった」

​この事実を知ると、ニヒリズムはさらに深まるかもしれません。私たちが家庭菜園で植えるトマトの苗も、ホームベーカリーで焼く小麦も、すべてサピエンスが数万年かけて「地球を改造してきた歴史の果実」そのものだからです。

​しかし、だからこそ「知った上で、どう関わるか」に、個人としての勉強の意味があります。

​何も知らずにただ消費する人と、人類の残酷な歴史と自然への負い目を「知った上で」、感謝を込めて土に触れ、丁寧にパンを焼く人。

世界に対する優しさと誠実さは、間違いなく後者の方が深いはずです。

賢治のように、この人類の巨大な業を背負いながら、それでもなお、自分の手の届く範囲の「土」と「命」を愛おしむこと。

それこそが、サピエンスという切ない存在である私たちが選べる、美しい生き方なのではないでしょうか。

​「サウイフモノニ/ワタシハナリタイ」

​私たちが教科書で出会う『雨ニモマケズ』は、どこか「賢治はこういう立派な人だった」という完成された聖人君子のイメージで語られがちです。

でも、あの言葉をよく見返してみると、最後はこう締めくくられています。

​「サウイフモノニ/ワタシハナリタイ

​これは「私はこういう人間だ」という自慢でもなければ、「みんなこうあるべき」と”教えてやっている”ものでもありません。

「本当はそうなれていない、泥臭くて、矛盾だらけで、業の深い自分がいる。だからこそ、せめて、そういうものになりたいのだ」

という、賢治の悲痛なまでの祈りや恥ずかしさであり、願いだったのですよね。

気がついているけれど、届かない。

サピエンスとしての罪深さや限界を、誰よりも科学的・客観的に「気がついて」しまっていたからこそ、彼はあの詩を、自分自身に言い聞かせるように、手帳の隅に書き留めるしかなかったのだと思います。

​「かなわなさ」を受け入れた先の、身の丈の暮らし

​「あの宮沢賢治先生でさえ、かなわなかった」

​この事実は、一見すると絶望的に思えるかもしれません。しかし同時に、私たちにとって「救い」でもあります。

あの天才であり聖人とも称されることもある賢治でさえ、理想と現実のギャップにのたうち回り、サピエンスの業に勝てなかったのです。

私たちがニヒルな気持ちになったり、シンプルに生きられなくて悩んだりするのは、当然のことなんです。

​賢治は、目の前の畑の土と農民と向き合い、文学を通して世界を丸ごと救おうとして激しく燃え尽き、37歳という若さで亡くなりました。

彼は「かなわなかった」かもしれない。

けれど、彼がもがきながら遺してくれたメッセージは、現代を生きるあなたの元に届き、今、こうして家庭菜園やパン作りの時間に豊かな彩りを与えています。

​世界を救うような大きなことはできなくても、たとえば

​・自分の手の届く範囲の、小さな土を耕すこと​

・オーブンから漂うパンの香りを、愛おしいと思うこと​(ウチはホームベーカリーwww)

・「シンプルで地に足がついた生活でありたい」と願う、優しい心を持つこと

​これらはすべて、賢治が「サウイフモノニナリタイ」と願いながら、体現しようとした暮らしそのものです。

「土」「地に足をつける」「生きること」「技術」「進化」これらの匂わせワードの行き着くところは…

​「土に根をおろし、風と共に生きよう。

種と共に冬を越え、鳥と共に春を歌おう。

どんなに恐ろしい武器を持っても、たくさんの可哀想なロボットを操っても、土から離れては生きられないのよ!

私たちが今まさに目撃している「サピエンスとAIの未来」の構図は、ラピュタの崩壊と重ね合わせて理解することができます。

ハラリ氏が『サピエンス全史』で描いた「農業革命の罠」と、宮崎駿監督が『天空の城ラピュタ』で描いた「失われた高度文明」、そして「現代のAI革命」。

この3つを結ぶ恐ろしいほどの共通点をひもといてみましょう。

1. 「支配した」つもりが「支配されている」という構図

​『サピエンス全史』において、人間は小麦を「栽培(支配)した」つもりで、実は小麦によって定住させられ、労働を強いられ、「支配されて」しまいました。

おかげで小麦は大繁栄。

人間は、「菌の乗り物」で

「小麦の奴隷!?」

面白コワい!

ラピュタの文明も全く同じです。

かつてラピュタ人は、地上を離れ、天高くそびえる天空の城を作り、恐ろしい兵器や自律型ロボットという「究極のテクノロジー」を操り、世界を支配しました。

しかし彼らは、自ら作り出したその完璧すぎるシステムと「土から離れた環境」に耐えきれなくなり、奇病が流行って地上に降りるしかなくなりました。

今、私たちが手を伸ばしているAIも、全く同じ道をたどろうとしています。​

私たちはAIを「便利に使いこなしている(支配している)」と思っています。

しかし、AIがなければ仕事が回らなくなり、AIの言う通りのルートを歩き、

AIが弾き出した好みに合わせて買い物をし、AIのアルゴリズムに感情を揺さぶられている

気がつけば、サピエンスはAIという巨大なシステムに飼い慣らされ、それに依存しなければ一歩も動けない存在」になりつつあります。

まさに、大地を忘れてラピュタの城の中に引きこもった人間と同じです。

​2. 「ムスカ」という、効率と力に魅せられたサピエンス

​作中でムスカは、ラピュタの圧倒的なテクノロジー(AIやロボットの元祖のようなもの)を再び手に入れ、世界を支配しようとします。

彼は、冷徹に数字と効率、そして権力だけを追い求める「サピエンスの負の側面」の象徴です。

悪役なんだけど、

気持ちがわかる部分も正直ある

そら、そうなるわな…と。

1. 「文字」と「虚構(ストーリー)」で支配する

ムスカは、他の兵士たちが読めないラピュタの古い文字を解読し、手帳に書かれた「秘伝の歴史」を武器に周囲を動かします。

ハラリ氏が言うように、サピエンスは「神話」や「契約」といった目に見えないストーリー(虚構)を共有し、文字を使って記録することで、大人数をコントロールする力を得ました

ムスカが軍隊を手玉に取り、最後は裏切って王として君臨しようとする姿は、サピエンスがフィクションの力を使って権力を握っていく歴史そのものです。

ハラリさん、ジブリ見てるな?

​2. 生物の命を「ゴミ」と見なす冷酷さ

ラピュタの力を手に入れたムスカは、眼下に広がる人々を見下ろして、有名なあのセリフを放ちます。​

見ろ、人がゴミのようだ!

これは単なる悪役の暴言ではありません。

人類が農業革命や工業化のプロセスで、他の野生動物や自然環境を「自分たちの利益のための資源(あるいは邪魔なゴミ)」として扱い、徹底的に踏みにじってきたサピエンスの冷徹な視線の究極形です。

「良いことをしている」「暮らしが良くなる」と信じさせる、そして皆が信じたから大勢が動くということ…

​3. テクノロジーを「全能の神」と勘違いする

​「ラピュタの雷(いかずち)は旧約聖書にあるソドムとゴモラを滅ぼした炎だ」「世界は再びラピュタの元にひれ伏す」と語るムスカは、

自らが作ったわけでもない過去の巨大テクノロジーを盲信し、自分自身が「神」になったかのように錯覚しています。

これは、AIや遺伝子組み換え技術を手に入れ、まるで自分たちが地球の、あるいは生命の支配者(ホモ・デウス=神の人類)になったと勘違いし始めている、現代社会への強烈な皮肉になっています。

​最後に「目が眩んだ」ムスカのメッセージ

​映画の終盤、バルスの強い光を至近距離で浴びたムスカは、「目が、目がぁ〜っ!」と叫んで視力を失い、崩壊する城とともに奈落へと落ちていきます。​

あれは、「あまりにも強大すぎるテクノロジーの光(力)に目を奪われ、足元にある本当の豊かさ(土や命)が見えなくなってしまった人間は、最後は自滅する」という、サピエンスへの警告のようにも読めます。

​ムスカを「ただの悪いやつ」として切り捨てるのは簡単です。

でも、「効率的で便利なら、多少の犠牲は仕方ない」「もっと上のステージへ行きたい」という、私たちの心の中に少しでも潜む欲の延長線上に、あのムスカがいます

だからこそ、私たちは彼にどこか不気味なリアリティを感じ、惹きつけられてしまうのかもしれません。​

そんなムスカの姿を反面教師にしながら、「いや、私はゴミなんかじゃない、この愛おしい土の上で生きていくんだ」と気づいたシータの強さ、そして宮沢賢治の優しさ。

2人とも、賢いのよね…

賢人。

​一見、アニメの世界のことのようですが、今まさに『サピエンス全史』を読みながら感じているリアルな葛藤と、完全にシンクロしているのが本当に面白いんですよね。(寄せには行ってるw)

現代の世界で、巨万の富を投じてAIの開発競争を爆走させているエリートたちの姿は、全方位とは言いませんが、どこかムスカに重なります。

もっと速く、もっと賢く、もっと強力に」。

(「そうすればきっと楽になる、幸せになれる…」)

その技術が人間の心をどう変えるか、人類をどこへ連れて行くかという深い哲学(シータの言う『優しさや畏敬の念』)を置き去りにしたまま、ボタンを押そうとしています。

しかし、シータ(=宮沢賢治のような、土と命の繋がりを知る者)は知っています。

どれほど知性を拡張し、神のような力を手に入れても、私たちは「生物としての肉体」を持ち、地球の生態系の一部としてしか生きられないという動かしがたい事実を。

今のところの、得所感想とどのつまり①

さて、中年主婦の行き着いた考えは…

宇宙開発って、興味や自国防衛や人のためというより…、

小麦や菌類に操られてる説www

サピエンスだけがこんなに知能を持ったのは、地球が終わってもキノコや小麦が(例えばだけど)どっかでDNAを繋ぎ続けるようにするためでは?

↑ちなみに、時々生まれる天才サピエンスのことを指します😭!

現に、宇宙土壌作ってるし…

様々な欲求も、「いや、実はオレ操られててさ〜。」と捉えれば、逆に楽じゃない!?

​現代の「バルス(閉じられた技術の解放)」のあとで

​私たちはもう、AIというテクノロジーを完全に手放すことはできません。それは、農業革命の前に戻って、全員がもう一度狩猟採集民になれないのと同じです。

シシ神様は、もういない…

では、私たちはどうすればいいのか。

映画のラストで、ラピュタは「バルス」という滅びの呪文によって、底部の黒い巨大な要塞(ムスカが操ろうとした兵器や、効率だけのシステム)を海へと切り離しました。

しかし、城のてっぺんにあった「巨大な樹木と、生命を育む土」のエリアだけは壊れず、飛行石の力でさらに高く、宇宙へと昇っていきました

これこそが、私たちが目指すべきヒントではないでしょうか。

AIという強大すぎるテクノロジーを全否定するのではなく、その中にある「人間を傲慢にする、冷酷で効率一辺倒な部分」には、いつでも「バルス」と言えるだけの距離感を保っておくこと。

ちっちゃい石に「バルス」って彫って持っておくとか(笑)

結局そこはアナログで。石はそうそう消えないからね!

そして、自分の中心には、あのラピュタの頂上に残ったような「豊かな土と、命を愛おしむ心」をしっかりと握りしめておくことです。

今のところの、読書感想とどのつまり②

子育てする主婦としておちつくところは、、

サピエンスは雑食なので、

色んな食材を色々食べよう!一汁三菜他品目。

壮大な人類の歴史からAIの未来、ラピュタの哲学?まで巡り巡って、最終的にそこへ着地。

​ハラリ氏が『サピエンス全史』の中で「狩猟採集民のほうが、現代人よりもはるかに多様で栄養価の高い食事をしていた(だから健康的だった)」と書いています。

農耕始めてからというもの、みんな単一の同じものを食べ続け過ぎ問題

農業革命以降、人類は小麦や米といった「単一の作物」に依存しすぎて、栄養が偏り、病気に弱くなってしまいました。

つまり、「色んな食材を色々食べよう!一汁三菜多品目!」という結論は、サピエンスが数万年かけて忘れてしまった「本来の、最も自然で健康的な生き方」を、現代の食卓にちょこっと取り戻す最高の知恵とも言えます。

「かっけ(脚気)」について…蔦重を思い出す

日本人が、食事を白米に偏りすぎた結果、サピエンス本来の「多様なものを少しずつ食べる」というバランスを失って引き起こしてしまった、歴史的な大悲劇ですよね。

「江戸患い(えどわずらい)」と呼ばれ、明治から大正、昭和の初めにかけては何万人もの命を奪う日本の「国民病」でした。

玄米なら含まれていたビタミンB1を、わざわざ「美味しくて長持ちする白米」に精米してそればかりを食べたために、体が動かなくなって命を落としてしまう……。

これこそが、『サピエンス全史』が指摘する「よかれと思って技術(精米)を進歩させ、単一の食べ物に依存した結果、かえって人間が不健康になる」というパラドックスそのものです。

この病気は、実は宮沢賢治の人生にとっても、ものすごく深い因縁のある病気でした。​

賢治が生きた大正〜昭和初期は、まさに脚気が猛威を振るっていた時代です。

賢治自身、食事を玄米菜食に切り替えて冷害に苦しむ農民たちのために奔走していましたが、最後は過労と栄養の偏り(そして脚気からくる心臓への負担)も重なって、若くして病に倒れることになります。

彼が身をもって経験した「食べることと、命を維持することの難しさ」が、あの『雨ニモマケズ』の、​

「一日に玄米四合と/味噌と少しの野菜を食べ」

​という、あまりにも具体的で切実な食事の描写につながっているのです。(当時は白米ではなく、ビタミンの豊富な「玄米」を食べることが、脚気を防ぎ健康に生きるための、賢治なりの切実なサイエンスの答えでもありました)

​歴史の大きな教訓からも、賢治の生きた時代からも、

やっぱり答えは「いろんな食材を、色々食べよう!」に戻ってきますね。

どれだけ世界のエリートがAIだ宇宙だと騒いでも、子育てをするお母さんが、「今日は初収穫のトマトを食べよう」「いろんな栄養を摂れるように、お味噌汁に具をいっぱい入れよう」

と、家族の健康を思って多様な命(食材)を食卓に並べること。

​「いただきます」の教育。

これこそが、サピエンスの暴走(効率主義)にブレーキをかけ、人間の命をいちばん健やかに、シンプルに繋いでいく「最強の営み」です。

くじけそう!サピエンス全史の感想を書くには、私の中で時期尚早すぎました(笑)

​私が今、自宅でプランターの土に触れ、ホームベーカリーから漂うパンの香りを嗅いでいるその時間は、

サピエンスが暴走しがちな「AIのバーチャルな世界」から、片足を踏み出し、「人間が生きるための、本当の足場(土)」に根っこを繋ぎ止めるための聖域なのです。​

追いつけないテクノロジーに対し、私が本能的に感じるこの危機感とワクワクはなんなんだ?

仕組みも分からないのにAIを使い、もう、無いわけにはいかないから、義務教育の全ての子供にも与えている。

その正体は、DNAに刻まれちゃってました。

「AIがどれだけ進化しても、私は今、この土から生まれたトマトを食べ、麦から焼いたパンを美味しいと思っている」​

その実感を持っている限りは、テクノロジーに支配されるだけの「可哀想なロボット」にはなりません。

現代の複雑な世界の中で、シンプルで地に足のついた優しさを守るための「飛行石」を、暮らしの中でちゃんと持っていたいのだと思います。

ようやくハンムラビ法典に差し掛かった辺りなのに…www

とりあえずこの辺りで感想文は止めときます。

長くなっちゃった…

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