ネガティブ&ショッキングなサピエンスの所業!!それを知的好奇心で読んでしまう自分について思うこと

専業主婦のエッセイ

サピエンス全史(上巻)を読み中。80年代生まれ主婦の感想言いたい〜【第二弾】

一話目はこちら➡️「サピエンス全史」を読んで。土を触り、パン焼く中で思う、宮沢賢治とシータの言葉

農耕を始めたサピエンス。あたしたちは小麦の奴隷!?という観点はとても面白く、思わず声が出ました。

でも、その先の家畜(牛や羊)の段落まで進むと、急に重苦しく、目を背けたくなる。罪の意識に苛まれます…。

しかしながら、章全体を読んだときに残る感情はやはり「ワクワク」「知れて嬉しい!」というものです。

そのことがモヤる!!

“イメージの中の”宮沢賢治のように、「雨ニモマケナイ人間」でありたい…

とは言え私ももう中年。厨年ではありません。

自分の心に矛盾やニヒリズム(虚無感)を感じて「悲しい」と思えること自体が、実はとても優しく、誠実な感性を持っている証拠だと、思うようになってはいます。​

人類が他の生き物を絶滅させ、環境を破壊し、仲間うちで残酷な歴史を繰り返してきた……というダークな真実を突きつけられているのに、感覚的に「うわ、面白い!」「そうだったのか!」と興奮してしまう

この矛盾、なんだか自分の冷酷さや無責任さを見せつけられたようで、ちょっと落ち込みますよね。

​でも、安心してください。宮沢賢治という人もまた、全く同じ種類の「変な気持ち」や激しい矛盾を抱えて、もがき続けた人でした。

なぜ賢治の話…?というのも、

人間の食料事情について考えたとき、農学博士&作家である宮沢賢治がすぐに心に浮かんだのです。

科学的探究、人として歩むべき道や良識、どちらも学びたい‼️

「サピエンス全史」を読んで。土を触り、パン焼く中で思う、宮沢賢治とシータの言葉

​賢治も抱えていた「加害者としての自覚」

私たちがイメージする宮沢賢治は、『雨ニモマケズ』にあるような、無欲で、ストイックで、いつでも他人のために尽くす聖人のような姿かもしれません。

しかし、実際の賢治の心の中は、もっとドロドロとした葛藤でいっぱいでした。

​彼はベジタリアン(菜食主義)を実践しようとしましたが、体が弱かったこともあり、お肉や魚を食べてしまうことがありました。

そのたびに、「自分は他の命を奪わなければ生きていけない、罪深いサピエンス(人間)なのだ」と、激しい自己嫌悪に陥っていたのです。

私は何でも食べます!好き嫌い無し!

彼の童話『よだかの星』では、自分が生きるために無数の虫を殺して食べ続けなければならないことに絶望した鳥(よだか)が、最後は夜空の星になって燃え尽きる姿が描かれます。

これはまさに、賢治自身が感じていた「生きることの残酷さと、それに加担してしまう自分へのニヒリズム」そのものです。

​【簡単手作り味噌】炊飯器で1日、香りに包まれる暮らし。高級炊飯器を「味噌専用」にしてまで私が伝えたかったこと。

​「ワクワクする」のは、サピエンスの強力な武器

​『サピエンス全史』のネガティブな内容にワクワクしてしまうのは、あなたが冷酷だからではありません。

私たちの DNA に刻まれた「知的好奇心」という、サピエンス最強の武器が反応しているからです。

これ、食べてみよう

こっちに行ってみよう

あれは何かな?

海を渡っちゃおう

ここからジャンプしてみよう…

幼児や10代に見られる「やんちゃ」はサピエンスのDNAに刻まれた開拓冒険心!?

​ハラリ氏が言うように、人類がここまで生き延びられたのは、「虚構(物語)」を信じ、世界の仕組みを「知りたい」と強く願ったからです。

残酷な歴史であっても、その裏にある壮大なメカニズム(仕組み)を解き明かされたとき、私たちの脳は知的な快感を覚えるようにできています。

​賢治もきっと、その「面白いと思ってしまう不謹慎なワクワク」を、完全否定はしません

なぜなら彼自身世界の恐ろしい法則や、自然の猛威、人間の愚かさを「科学的・客観的」に見つめるスリルを知っていた大のサイエンスオタクだったからです。

ただ、人間とはそういうものだと認知するかしないか。それは大きな違いです。

倫理観、常識、良識、まごころ…

本当はサンタさんなんていないのに、クリスチャンでもないのに、子供に嘘をついてまでサンタさんの格好をし、心温まる絵本を送る大人。

偽善と言われようが虚構と言われようが、そういう人で、私はありたい!!

ウチの子供に「サンタの真実」を打ち明けたとき、子供はちょっと涙をこぼして、私に「ママとパパありがとう✨️」と言いました。

なんて尊い。これだけで、私の子育てはほぼ成功と言えるのでは。

本当の「アメニモマケズ」

​私たちが目指すべき「アメニモマケズ」な人間とは、清廉潔白で、最初から悪にまみれない、美しく輝くロボットのような人間ではありません。

​「自分の中にも、人類の残酷な歴史の血がリセットされる事なく流れている。業(ごう)の深さがある。

それでもなお、目の前の土いじりを愛し、誰かのためにパンを焼こうぜ」

​そうやって、自分の中の矛盾やニヒルな気持ちを全部抱きしめた上で、なおも「優しくあろう」とあがき続ける人こそが、賢治の目指した理想の人間像(デクノボーなのだと思います。

​歴史の真実を残酷だと悲しみながら、一方でそれを「面白い」と学べる知性を持っている。

その両方のバランスが取れていることこそが、これからの時代を生き抜く強さになります。

サピエンスの冷徹な歴史を知った上で育てる野菜や焼くパンは、きっと以前よりも深い味がする…

​歴史のダークな一面を知ることで、目の前の「命(菜園や生き物)」への愛おしさが増し増し!

次回は、避けては通れない「環境」について。

Eテレでも学校の学習でも「出て来すぎ」出杉君です。

否定してませんよ!子供を産んだ以上、未来への責任を感じずにはいられない主婦。自分なりに環境について絶賛興味深く焦ってます。

てかまだ読み終わってないんだけど!!

家事あり過ぎ有杉君!

「サピエンス全史」を読んで。土を触り、パン焼く中で思う、宮沢賢治とシータの言葉

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