「サピエンス全史」を読んで。土を触り、パン焼く中で思う、宮沢賢治とシータの言葉

専業主婦のエッセイ

もうずいぶん前に話題となった書籍『サピエンス全史』。

当時私は新生児育児真っ只中で、オバマさんが勧めようがカズレーザーが勧めようが、目の前の荒れ狂うサピエンスに翻弄され、それどころではなかった

さて、ウチの・サピエンスに手がかからなくなったころには、とっくに文庫本になり、中古の中古も多く出回っていました。

そして、ついに読みましたよ。と言っても、まだ上巻半分。

なんとまぁものすごい情報量。

こんな小さな文庫本は、これは液体窒素でできていて、ページを開いた途端に膨大な量の気体になような感覚を覚えました。

上巻の半分だけで、けっこうお腹パンパンなんだけどwww

今のところの感想をまとめてみます。

ほかの投稿でも書きましたが、近年の私はもっぱら自分で育てた野菜を収穫し、自家製ごはんパンの香りに包まれる……。

素朴で自然で、我ながら素敵な時間の過ごし方をしているじゃんか…と思っていました。

ところが…。

なんとサピエンスらしい自己中心的な思想なことよ🍙🍞…

ヨヨヨ…

これまで読んだ素直な感想は、

⭐️マジで面白い、ワクワクが止まらない

⭐️私の中の、巨大な歴史年表の割当てが変わってしまった

⭐️1つ目の感覚について。サピエンスの危険さと悪気のない罪を目の当たりにしつつ、それを面白いと感じてしまう自分とは…

ということ。そして連想したのは

⭐️宮沢賢治

(ちょっと前に、藤井一至先生の「土 地球最後の謎」を読んだことも影響)

⭐️天空の城ラピュタ

(個人的に、色んな話題を考え込むと、飛躍してけっこうここに行き着きがち)

宮沢賢治が「サピエンス全史」を読んだら、何て言うだろう

​これらは、上巻第2部にさしかかり、頭に浮かんできた感想とアイディアです。

・賢治が、農学、土壌の専門家でもあり、教師でもあり、人の心を大切に思う人であったこと

・サピエンス全史の中でも、とりわけサピエンスの「農業革命」で語られる狩猟採集社会からの変化は素晴らしい進化とは捉えていない

・近い未来、人口100億人世界の農耕、食料事情

・令和の米騒動で感じた「やっぱ第一は米作って米食べること」の意味

・世界のエリートが学ぶ、AI・サイエンスとの繋がり(例えば、土のない宇宙で農耕)と、距離感(AIによるスマート社会と、1日3回、ものをむしゃむしゃ食べるサピエンスの妙な隔たり感)について

新しい認識ばかりでまとまるか分かりませんが…

日本人中年主婦目線、何回かに分けてレポします!

ユヴァル・ノア・ハラリ氏が描く壮大な人類史と、目の前にある「土や命に触れる暮らし」

​さて、宮沢賢治は、ただの「童話作家」ではありません。彼は熱心な土壌・農学の専門家であり、冷害に苦しむ農民のために泥にまみれて働いた実務家でした。

そして、最先端の科学(サイエンス)を愛した教師でもありました。

​もし彼が現代に現れ、あなたの隣で『サピエンス全史』を読んだら何と言うか。

4つの視点から、賢治の心の声を探ってみましょう。

​1. 農業革命は「詐欺」だった? ―― 賢治の「アニミズム」との共鳴

​『サピエンス全史』で最も衝撃的なのは、「農業革命は、人類が小麦に騙された史上最大の詐欺だった」という視点です。

定住したことで労働時間は増え、格差が生まれ、人類は家畜や土地に縛られるようになりました。

働けど働けど、我が暮らし楽にならず

​これには賢治も深く、激しくうなずくはずです。

賢治は、人間が自然を「支配」し、効率よく搾取する近代的な農業のあり方に疑問を持っていました。

彼の作品(例えば『注文の多い料理店』や『フランドン農学校の豚』)には、人間が勝手に生き物の命を奪い、自然をコントロールすることへの強い罪悪感と悲しみが流れています。

ベジタリアンになれという話とは違います。

賢治にとって、土も、植物も、動物も、すべて心を通わせる「妹や弟」のような存在でした。

少しでもよい暮らしを…と、少しずつ効率を追い求めた農業革命を、ハラリ氏が「素晴らしい進化とは言えない」とバッサリ斬るのを見て、賢治は「そうだったか」と、寂しげに、しかし強く共感するでしょう。

ただし!!

農耕を始めて人間が収穫量をコントロールする以前の「狩猟採集社会」でも、サピエンスは地上の生態系にとんでもない影響を与えています…

​2. 人口100億人迫る世界と、悲鳴をあげる土壌

​現代の地球は、もうすぐ人口100億人に達しようとしています。私たちは化学肥料や農薬を大量に使い、遺伝子組み換え技術を駆使して、なんとかこの膨大な人口の胃袋を満たしています。

農学者としての賢治なら、この現状にきっと強い危機感を抱きます。

賢治はかつて、無料の土壌診断を行い、農民たちに「もっと土の性質を見なさい」「自然の力を生かす肥料を使いなさい」と指導して回りました。

現代の、目先の利益欲しさに土や砂を大量に売ってしまう現状や、化学物質でドーピングされ、痩せ細って悲鳴をあげている土壌を見たら、彼は心を痛めるはず

​「私たちは、明日の食べ物のために、未来の土を前借りして生きているのではないか

​科学の限界と、自然への畏敬の念の狭間で、賢治は深く苦悩するに違いありません。

​3. AI・宇宙・サイエンス ―― 「巨大すぎる技術」との距離感

現代の世界のエリートたちは、AI、宇宙開拓、バイオテクノロジーといった最先端サイエンスを競うように学んでいます。

『サピエンス全史』の続編(『ホモ・デウス』など)でも、人類がテクノロジーによって「神の領域」に近づく未来が描かれます。

​実は宮沢賢治、大のサイエンスオタクでした

100年前の当時としては最先端の「アインシュタインの相対性理論」や「天文学」「地質学」にワクワクし、それを童話にちりばめた人です。

だから、AIや宇宙の技術そのものには、きっと目を輝かせるはずです。

​しかし、同時にこう問いかけるでしょう。

その技術は、人を幸せにしていますか?

​「人間は、お腹いっぱいになりますか?

賢治の有名な言葉に「世界がぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」というものがあります。

どんなにAIが賢くなろうと、宇宙へ行けようと、それが一部のエリートの富になり、誰かを置き去りにするものであるなら、賢治はその科学の「冷たさ」に強い距離感を置くはずです。

どうしてホモ・サピエンスだけ、こんなに高度な知能を持ったのか…

私の中で、まさか…と思う一つのことが浮かんでます。

私は最近気がついたけど、同じように思ってる人、たくさんいると思う。

​私たちが「勉強しつづける」本当の意味

​ハラリ氏の描く歴史の見解と、賢治の持つ熱い理想主義。

これらを読み比べると、「私たちはこれからどう生きればいいのか」という漠然とした不安が湧いてくるかもしれません。

​賢治なら、そんなあなたに優しく微笑み、こう言ってくれる気がします。

「だからこそ、勉強しつづけるのですよ」

賢治にとっての勉強とは、テストでいい点を取るためでも、エリートになるためでもありませんでした。

「自分と世界とのつながりを知り、ほんとうの幸(さいわい)を探すため」の手段だったのです。

私がベランダ菜園で土に触れるとき、そこには数億年の地球の歴史(地質学)があります。

ホームベーカリーでパンが膨らむとき、そこには微生物の働き(生物学)があります。

そして、本を読んで人類の足跡をたどるとき、そこには「これからどう生きるか」という問い(人文、哲学)があります。

​世界がどんなに複雑になっても、AIや効率主義に飲み込まれそうになっても、私たちが「知ること」をやめない限り、自分の足元にある暮らしを、自分の頭で肯定できるようになります。

デジタル化もAIも、今をもっと便利に…楽に…誰でも…みんなのために…

と進んできたこと。

単純に、開発の欲求と競争ももちろんありますが

それは、サピエンスが狩猟採集社会から農耕社会へ、ちょっとの工夫と挑戦の長大な積み重ねのうちに、いつの間にか後戻りできなくなっていたことに似ています。

違うのは、圧倒的な変化の速度

私の中学時代、カセットテープにラジオを録音して、どデカいパソコンとポケベルの時代でしたよ…

​​「大きな世界(サイエンスや歴史)」と「小さな日常(菜園やパン作り)」。

この2つを学びによって結びつけ、自分なりの「心地よさと正しさ」のバランスを探し続けること。

それこそが、この先の不透明な時代を生きる私たちが、学びつづける一番大切な意味なのだと思います……

と、本当にそう思うのですが、そう綺麗にはまとまりません。

まだまだ言いたいことがたくさんあるので、

続きは次の投稿へ…

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