20年越しの宿題提出。大人の私が「なぜ日本は植民地化を逃れた?」を、今だからこそ考えてみた

2X年前の夏休み明け、先生からの「みなさんには失望しました」
最近、子どもが学校で地理や歴史を学び始めました。
大量の新しい教材。名前書きを手伝いながら、最新の教科書や便覧を開いてみると、大人の私のほうがヒィヒィと言いながら、その面白さに夢中になっています。

本屋さんで地政学の本を立ち読みした日には、面白すぎて時間が一瞬で溶けてしまいました!
初心者や中学生向けの本も横積みに。
そんな今だからこそ、思い出す苦い記憶があります。
はるか昔、私が高校生だった頃の世界史の夏休みレポート課題。テーマは「なぜ日本は西欧諸国に植民地化されなかったのか」でした。
当時の私も「なんでだろう?」と純粋に知りたくはあるものの、部活に友達に習い事に全部の教科の勉強にと、とにかく忙しい(そして寝ても寝ても眠い!)。
当時はネットもまともにありません。高校生の夏休みに、詳しい人を探して聞く、何冊もの本を読み漁って深く考察する……なんて熱量はなく、なんとなくそれっぽいことを書いて提出したのだと思います。

なんて書いたか、全く記憶にない
新学期、社会の先生は教壇でこう言いました。
🧑🏫「みなさんのレポート、失望しました。もう少し、自分の頭で考えてほしかった。」
(先生、本当に申し訳ねぇ……てか、全員そのクオリティだったんかい)
そういうわけで、当時は適当に片付けた宿題でしたが、大人になってから本を読んだり番組を見たりする中で、「そういうことだったのか…」と少しずつピースが繋がってきました。

若くても、興味を持って&自分事として&未来志向で学んでいる学生さんもたくさんいるのに…😭
愚かな私よ…。

でもさ、先生も、
・こうやって調べる手もあるよ
・いくつかキーワードを教えます
などなど、丸投げせずきっかけを出してくれても良かったよね〜(他力学生)
ちなみに、
日本には「元寇」などマジで危なかったタイミングが歴史上いくつかありますが、高校のあのレポートが指していたのは基本「幕末」。
西欧列強がアジアを次々と飲み込んでいった、あの激動の時代です。
先生、お待たせしました。20年以上の時を経て、あの日の宿題をここに真面目に提出したいと思います。

そもそも「植民地になりやすい国」の特徴って?

大人になって世界地図を眺めるとよく分かりますが、当時のアジアやアフリカの多くの国が、イギリスやフランスなどの西欧諸国に植民地化されていきました。では、当時の海外の事情も含めて、「狙われやすい国」にはどんな特徴があったのでしょうか。地政学や歴史の視点から見ると、主に3つの条件が浮かび上がってきます。

トイレに大きな世界地図貼ってるwww
特徴①:国内がバラバラで内乱が起きている
西欧諸国の得意な手口は「分断して統治せよ」です。
国内の部族や派閥が争っている場合、片方の味方をするフリをして武器を売り、両者を共倒れさせてから国ごと乗っ取る、という方法が王道でした。
特徴②:中央集権的な「国家のシステム(仕組み)」が未成熟
法律、戸籍、税制などが整っておらず、近代的な「国」としての体をなしていない地域は、国際法(これも西欧が作ったルールですが)の隙を突かれ、あっさりと土地を奪われていきました。
特徴③:インフラや独自の「知性(教育)」が不足している
支配する側にとって、現地の人々が「自立した高度な知識」を持っていない方が、労働力としてコントロールしやすかったという冷徹な現実があります。

なので、ヨーロッパでは平民に字を教えなかった。
でも日本は、お触れを守らせるために読み書きは必要だという考え方だったんだよね。
☆また、当時の海外(西欧列強)側の事情として、インドや中国(清)といった「巨大な市場」の利権争いにエネルギーの大半を注ぎ込んでいた、という「時の運」もありました。
(日本そのものが欲しいというより、中国への中継地点として欲しかった。)
清がアヘン戦争でイギリスに大敗したニュースは、当時の江戸幕府に「次はウチじゃん…!?」というとてつもない危機感を与えたのです。

実は1300年前から、日本の「打たれ強さ」は完成していた
幕末のピンチを乗り越えられたのは、単なるラッキーではありません。
驚くべきことに、日本はその1300年も前(飛鳥・奈良時代)の時点で、すでに西欧の近代国家に負けない「国の筋」が通っていたのです。
当時の日本は、大化の改新や律令制の導入によって、すでに以下の仕組みを確立していました。
⭐️「法律」
(大宝律令など、国を動かすルール)
⭐️「戸籍」
(誰がどこに住んでいるかを把握する)
⭐️「税制」(お米や特産物を集める仕組み)
⭐️「官僚制」
(中央と地方を繋ぐ、役人の組織)
19世紀の西欧諸国がやってきたとき、日本は「未開の土地」ではなく、強固なシステムを持った「成熟した国家」でした。
だからこそ、ペリーが来たときも大混乱しながら、わずか数年で「明治維新」という国の大改造を成し遂げることができたのです。
国内で激しい意見のぶつかり合い(倒幕運動)はありましたが、根底にあったのは「日本を守る」という強烈な集団意識と団結力(国民性)でした。
さらに、秀吉の時代の「太閤検地」に始まる、土地の徹底的な管理や、江戸時代に発展した驚異的なリサイクル社会(インフラ整備の充実)も、国の土台を物理的に支えていました。

(1)「サピエンス全史」を読んで。土を触り、パン焼く中で思う、宮沢賢治とシータの言葉
宣教師も驚いた、日本人の「知性」と「技術力」

そして何より西欧列強をビビらせたのは、当時の日本人の異常なまでの知性と研究熱心さです。
ごく一部のエリートではなく、中間層が持つ高い知性のことです。
当時の日本の識字率は世界最高水準。
武士だけでなく、農民や町民まで文字が読め、寺子屋で学んだ和算(日本独自の高度な数学)を母国語でスラスラと解いていました。
その知性の高さを示す、面白い歴史のエピソードがいくつかあります。
① 宣教師を論破する農民たち
フランシスコ・ザビエルがキリスト教を日本に広めにきた際、現地の普通の日本人に「神様が万物を作ったというなら、なぜ今まで私たちにその存在を教えにこなかったのか? 先祖はみんな地獄に落ちたのか?」と鋭い矛盾を突かれました。
ザビエルは「日本人にこんな質問をされたのだけど、どう答えればいい?」と本国に大真面目で相談の手紙を送ったと言われています。
② 火縄銃の「完コピ」事件
戦国時代、種子島にポルトガル人から2丁の火縄銃が伝来しました。
ポルトガル人が「じゃあね」と帰っていき、翌年また日本に来てみたら、なんと国内に3万丁(※諸説あり)の火縄銃があったという逸話があります。
日本の職人たちは、貰った銃をまたたく間に分解・研究し、翌年には寸分狂わぬ精度で完全コピー(大量生産)していたのです。
この恐るべき技術力と研究熱心さは、のちの幕末の近代化(大砲や軍艦の自作)にも直結します。
☆さらに、西欧諸国がよく使った「親切なフリをして正確な地図を作り、侵略の足がかりにする」という手口に対しても、日本には伊能忠敬という怪物がいました。
彼が作った「大日本沿海輿地全図」の圧倒的なクオリティ(現代の人工衛星から見た地形とほぼ変わらない正確さ)を見た西洋人たちは、「この国は測量技術すら自前でここまでできるのか……」と、手出しするのを躊躇したそうです。

まとめ:「運」と「実力」が噛み合った、奇跡のバランス
こうして並べてみると、日本が植民地支配を免れたのは、島国という「地理の運」や、西洋のライバル同士が牽制し合っていた「時の運」も確かにありました。
でも、それ以上に、
⭐️嘘や盗みを嫌い、万物に神が宿ると考える真面目で真摯な国民性
⭐️どんな技術も一瞬で自分のものにし、さらに良くしてしまう研究熱心さ
⭐️一般の農民まで高い知性(読み書きそろばん)を持っていた、驚異の教育水準
という、先人たちが長い歴史の中でコツコツと積み上げてきた「底力」があったからこそ、あの幕末の最大のピンチを、ギリギリのところで踏みとどまって切り抜けられたのだな、としみじみ感じます。
洗濯物を畳みながら(あるいは、子どもの歴史便覧を前にヒィヒィ言いながら)、2X年越しにようやく自分なりの「あの日のお題」と向き合えた今。
当時の自分のあまりのやる気のなさを思い出して、ちょっと恥ずかしさで俯きつつ、「先生、あの時は本当に適当なレポートを出してすみませんでした……!」と、心の中で小さく平謝りしています。
でも同時に、ずっと心の片隅に引っかかっていた宿題をようやく提出できたような、静かで心地いいスッキリ感に包まれてもいます。

もちろん、歴史のレポートに「これで100点満点、完全終了!」という終わりはありません。
歴史を学ぶということは、一つの正解をバシッと決めることではなく、大人になっても、親になっても、新しい本を読んだり、世界情勢を見たりしながら、「あぁ、そういう見方もあったのか」と多角的に考え、じぶんの中の認識を常にアップデートし続けていくものなのだろうな、と感じています。

それにしても便覧面白い。



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