『サンダルの底』から考える、日本に生まれたラッキーの話。80年代生まれの私と、2010年代生まれの子どもの視点

専業主婦のエッセイ

20年ほど前のとあるアメリカの番組のエピソードを、時々思い出します。

​アメリカ人のレポーターが「なんで日本人はアメリカ産の牛肉を買わないんだ!」と息巻いていると、

別のアメリカ人が「そりゃあ、日本産の牛肉の方が美味いからさ」と答えます。

「よし、俺が確かめてやる!」と日本食レストランへ向かったレポーター。

和牛を一口食べた彼の口から出たのは、こんな言葉でした。

「……我々がこれまで食べていたのは、サンダルの底だった」

もはや有名なwww言葉です。

​思わず笑っててしまうエピソードですが、これは海外のレストランでの一幕。

もしこれが日本国内なら、ここに「清潔な店内」「真摯な接客」「無料の美味しいお水」「適正価格」「チップなし」という、おまけ(ボーナス)までついてきます。

美味しいものを食べてしまうと、よい接客に慣れてしまうと、それを知る前には戻れない

それは、スマホなしの生活には戻れないし、AI無しで仕事するのはきつい…と同じ普遍性です。

なにげに色々な角度から語れる「サンダルの底」話ですが、

今回のブログでは、母国愛&日本の魅力再認識についてです。

​大人になった今なら「日本ってすごいな」と素直に思えるのですが、

ふと、自分自身が子どもだった頃(1980年代生まれ)と、いま我が家で育っている子ども(2010年代生まれ)とでは、「日本という国に対する感覚」がまるで違うことに気づきました。

今回は、そんな親子の認識ギャップについて、少し実験的に考察してみたいと思います。

​1. ネガティブ要素が多めだった、私たちの近現代史

​1980年代生まれの私が学校で習った日本の近現代史は、一言で言えば「反省と不安の歴史」でした。​

戦争の激動期、そこからの猛烈な公害や環境破壊、24時間働き続ける激しい競争社会、そしてバブルの崩壊と将来への不安……。

教科書を開けば、とにかく重くネガティブな要素がこれでもかと並んでいました。

​そのため、歴史や世界史自体は好きでも、近現代になると急にリアルな息苦しさを感じてしまい、勉強する気になれなかったのを覚えています。

ふしぎ発見、大好き。

大河ドラマも見てました。

​当時はテレビや漫画、映画からの情報がすべてだった時代。

ニューヨークへ行きたいか〜!」というクイズ番組の熱気や、「ハワイ旅行」「フランス製はおしゃれ」といった、欧米への漠然とした憧れと、ルックス的な劣等感、英語が喋れない恥ずかしさを、多くの人がなんとなく共通認識として持っていたように思います。

「日本は平和だけど、特に誇れる国ではないのかな」と、どこか冷めた目冷めた目で見る傾向があった、私たちの世代でした。

日本を別に愛してはいないけど、もしまた生まれ変わるとかなら、それは日本かなwwwという、ちょっと嫌〜な感覚、持っていた人多いのでは?

その認識が、いつの間にか変わっていった!!

​2. 「日本に生まれてマジでラッキー」な子どもたち

​一方で、2010年代に生まれた我が家の子どもに「例えばアメリカに、漠然とした憧れってある?」と聞いてみたところ、返ってきたのは意外な言葉でした。

​「え、特に思わないかな!

興味なし、とは違い、単純な「はぁ〜、いいなぁ〜」感が無いのです。

​現代の子どもたちは、インターネットやYouTubeを通じて、最初から世界とフラットに繋がっています。

日本の食事やおもてなし文化に感動する外国人」の動画を日常的に見ている彼らは、大人が教えるまでもなく、「日本に生まれたこと自体が、マジでラッキーなんだ」と自然に理解しているようです。

​私たちが大人になってから「実は80年代の日本の漫画や音楽、ゲームって世界的に見ても凄かったんだ」と気づいたのに対して、今の子どもたちは、最初から日本の文化の強さを肌で感じて育っています。

​3. 教科書のインフラの裏にあるもの

大人になり、様々な情報に触れる中で、教科書には載っていない「たくさんの素晴らしい日本人」の存在を知るようになりました。

日本の良さを守り、繋ごうとしてくれた先人たちがいたからこそ、日本は今の形のままここにあります。

​世界を見て、海外の優れた文化を学ぶ留学や経験はもちろん素晴らしいし、必要なことです。

今の時代の子どもたちが海外へ出たとき、それは「海外はこんなにすごかった」という驚き以上に、「あぁ、日本って実は特別だったんだな」と再認識する旅になるのかもしれません。

​何より、世界を見渡したときに、「母国語(日本語)だけで、最先端の高度な数学や科学まで不自由なく学べる国力」があること。

大昔から、圧倒的な識字率を誇る日本人。

性格上、もし必要不可欠ならとっくの昔にに英語が身に付いている!!

子どもが一人で外へ出かけられる治安が維持されていること。

​これらは決して、世界中のどこにでもある「当たり前」ではないのですよね。

日常のなかの、ささやかな合格点

​あれこれと時代背景を並べてみましたが、結局のところ、親である私が日々感じているのは、もっとシンプルな幸せです。​

日常的にとは言えませんがwww、美味しいお寿司や和牛を食べて、「あぁ〜、美味しいね、幸せだ‼️」と言い合えること。​

GDPや偏差値といった難しい数字で白黒つけるのではなく、この日常の「心地よさ」と「満足感」こそが、私たちがこの国でもらっている一番のギフトなのかもしれません。

年金、医療費、物価高、少子化…問題山積みとはいえ、今の幸運を見逃すのは不幸!

​今夜のご飯は、少し奮発して美味しいお肉にしようかな。そんなことを企みながら、今日も我が家の小さな実験室(キッチン)に立とうと思います。

「サピエンス全史」を読んで。土を触り、パン焼く中で思う、宮沢賢治とシータの言葉

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