スマホの無料アプリひとつで、ギターもバイオリンも1Hz単位で正確に調律できる現代。
ではなぜ、私たちは何万円もの費用を払って、定期的に「調律師」という人間を家に招き入れるのでしょうか?
「機械のほうが精密に音を測れるはずなのに……」
そう思うかもしれません。
しかし、ここには驚くべき事実があります。実は…
コンピューターの示す『正解の数値』通りにピアノを調律すると、
人間の耳にはなぜか『めちゃくちゃ下手で、不快で濁った音』に聴こえてしまう
という事実があります。
今回は、数式通りの物理法則と人間の耳の錯覚の間で美しい音を紡ぎ出す、調律師たちの「神業」と音の歴史の裏側に迫ります!
1. 基準音(ピッチ)はどう作られてきたか?音叉(チューニングフォーク)の発明

そもそも、調律師が音を合わせるための基準となる音(「ラ」の音=A=440Hzや442Hz)は、
歴史の中でどのように作られてきたのでしょうか。
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① パイプや笛の時代(〜18世紀頃)
音叉ができる前は、木や金属でできた小さな笛(調律笛)を吹き、「この管から出る音を『ラ』にしよう」と基準にしていました。
しかし、これには壊滅的な弱点がありました。
空気の温度や湿度によって管の中の空気の密度が変わり、夏と冬で基準音の高さが勝手に変わってしまうのです。
② 伝説の発明「音叉(おんさ)」の登場(1711年)
この問題を解決したのが、イギリスのトランペット奏者ジョン・ショアでした。
彼が発明した金属製の「音叉(Tuning Fork)」は、音楽史を揺るがす画期的な道具となります。
□温度や湿度の影響をほぼ受けない
□叩くと、余計な倍音を含まない「純粋な単一音(正弦波)」を長く響かせ続ける

意外と最近…?

モーツァルトやベートーヴェンも、自分専用の音叉を大切にポケットに入れて持ち歩いていたと伝えられています。

③ 現代:ストロボチューナーと最後の「耳」
1930年代以降、電子チューナーが登場しましたが、現代のプロ調律師は機械で大まかに合わせた後、最終的な仕上げは100%「自分の耳と音叉」で行います。
機械には見えない「そのピアノ固有の弦のクセ」を、人間の耳で聴き分ける必要があるからです。

2. 機械にはマネできない!調律師の頭の中で起きている「神業」
調律師がピアノに向かっているとき、その耳と頭の中では凄まじい認知処理が行われています。
① 1本ではなく「3本の弦」と戦っている
ピアノの鍵盤(中〜高音域)は、1つの鍵盤を押すと3本の弦が同時にハンマーで叩かれます(88鍵全体でなんと約230本!)。
3本の弦のピッチが0.1Hzでもズレていると、音の語尾が「ウワンウワン…」と揺れてしまいます。
調律師はあえて2本をミュート(消音)し、1本ずつ張り具合を調整して「響きの揺れ」を完全に消し去っていきます。
② 「唸り(うなり)」を耳で数えるプロフェッショナル
現代のピアノの調律(平均律)は、すべての音程をあえて「ほんの少しずつ濁らせる」ことで、どの調(キー)でも演奏できるようにした調律法です。
調律師は2つの音を同時に鳴らし、「1秒間にウワン、ウワンと揺れる回数(唸り)」を自分の耳だけで計測しています。
「いま1秒間に3.2回揺れたからOK」といった職人技を、頭の中の時計と耳だけで実行しているのです。

すごっ!
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3. 物理の罠「インハーモニシティ」とオクターブの引き伸ばし
ここで冒頭の疑問に戻ります。
なぜコンピューター通りの数値で調律すると不快な音になるのでしょうか?
その原因が、「インハーモニシティ(非調和性)」いう物理現象です。
物理の教科書では「1オクターブ上の音=周波数がピッタリ2倍(200Hzの次は400Hz)」と習います。
しかし、実際のピアノの弦は「硬くて太い金属線」です。
弦が振動するとき、金属の硬さ(剛性)のせいで根元がうまくしならず、高い倍音(高音成分)が物理的にほんの少し高くなってしまうのです。
□理想(数学): 100Hz ➔ 200Hz ➔ 300Hz ➔ 400Hz
□現実の弦: 100Hz ➔ 200.1Hz ➔ 300.3Hz ➔ 400.8Hz
もし、1オクターブ上の音を「正確に数学上の2倍(200Hz)」に調律してしまうと、下の音が発している現実の倍音(200.1Hz)と衝突して、濁った唸りが発生してしまいます。
そこで調律師は、1オクターブ上の音をあえて数学上の数値よりほんの少し「高く(広く)」調律します(オクターブ・ストレッチ)。
さらに、人間には「高音域は物理的に正しく調律するより、少し高めに調律したほうが『ピーンと通る心地よい音』と感じる」という耳の錯覚(知覚特性)があります。
調律師「物理法則のズレ」と「人間の耳の錯覚」の両方を計算し、一番心地よい音の曲線を手動で仕込んでいるのです。
4. 調律師はどんな人がなる?実は「最強のメカニック」な魅力
一見すると「音大を出た耳の良い人」や「絶対音感のある人」の仕事に思える調律師ですが、実際のバックグラウンドや適性は少し異なります。
① 絶対音感は「必須ではない」
調律師に必要なのは、「この音はドだ!」と一発で当てる絶対音感ではありません。
2つの音が重なったときの「唸り(うなり)」や「倍音の響き」を聞き分ける『相対的な聴覚スキル』であり、これはトレーニングで誰でも身につけることができます。
② ピアノの中に詰まった「1万個のパーツ」を操るエンジニア
ピアノの内部には、約1万個以上もの木材・金属・フェルトパーツが詰まっています。
鍵盤ひとつ押すだけでも、テコの原理を使った複雑な「アクション(内部機構)」がミリ以下の精度で連動し、20トン近い張力がかかる弦をハンマーが叩きます。
そのため、プロの調律師さんは「音の芸術家」であると同時に、「構造と仕組みを見抜く最強のエンジニア」でもあります。
実際、調律師さんには機械や工具の扱いが好きな「メカニックタイプ」の人が多く、
■複雑な構造の仕組みが見えるため、車の構造や家電、ガス給湯器なども「原理が分かれば直せる」とサクッと修理してしまう。
■ネジの締め加減(トルク)や金属の加工精度が身体に染み込んでいるため、例えば車検を自分で通してしまったり、さまざまな資格を趣味感覚で取得してしまうといった「手先が器用すぎる職人さん」がたくさんいます。
音を整えるだけでなく、機械としての不具合も音と手応えで見抜いてしまうからこそ、家庭の「頼れるメカニック」としても信頼されているのです。

つい、色々と相談したり修理依頼しちゃいそう…

5. おわりに:完璧じゃない「生き物の耳」だからこそ生まれる芸術
コンピューターの弾き出す数値は、いつだって正確で完璧です。
しかし、人間の耳は機械のような絶対的な測定器ではなく、脳の認知や物理現象(倍音)と対話する「生き物の感覚器官」です。
数式通りの正解をあえて崩し、人間の耳が「美しい!」と感じる絶妙なバランスへと音を調律してくれる職人たち。
次にピアノの伸びやかな音色を聴くときは、その美しい響きの裏に「機械を超えた職人の耳と技」が存在していることに、思いを馳せてみてはいかがでしょうか。


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