周りが持ち始めても焦らない。親子の対話と「自分で考える力」を伸ばす環境づくり
はじめに:なぜ「塾なし・スマホなし」を選択しているのか?
わが家では現在、塾に通わず、子どもに専用のスマートフォンも持たせない方針をとっています。
塾なし、と言っても、音楽やスポーツの習い事で、毎日練習時間をとるため、さらに塾も始めて宿題が出て、本人と家族だけでなく、塾に通う他の子やその親などからの多方向から圧力が増すのは避けたい。きっかけはいわゆる成り行きです。
塾に対しても、スマホに対しても、単に制限をかけていたり、ネガティブに捉えているいるわけではなく、限られた時間の中で、無理なく「自分で考え、学ぶ力」を養ってほしいという願いがあるからです。
スマホなし育児を支える「3つの工夫」
SNSやゲームの誘惑が少ない環境だからこそ見えてくる、塾なし教育のリアルな日常をお伝えします。
「持たせない」だけでは、子どもは不満を感じてしまいます。わが家では以下の工夫を取り入れることで、子ども自身が納得感を持って過ごせるようにしています。
1. 「知りたい」をすぐに解決できる環境を整える
スマホがないと「検索」ができません。
その代わりとして、リビングには常に図鑑、辞書、地図を置いています。
分からないことがあったとき、親と一緒に紙の辞書を引く。この「ひと手間」が、記憶の定着と深い理解につながっています。
2. 公共のルールと「共用デバイス」の活用
完全にデジタルを遮断するのではなく、家庭の共用タブレットやパソコンを、決められた場所・時間で使用するようにしています。
ポイント: 自分の部屋に閉じこもって使うのではなく、リビングで使うことで自然と親の目が届き、デジタルリテラシー(使い方のマナー)を教える機会にしています。
3. 「スマホ以外の楽しみ」を一緒に見つける
赤ちゃんの頃から、普段ほとんど手にしなかってため、家でも外でも自然と昔からの遊びによる成長をたどっています。
もちろんテレビも観ますし、ディズニーやジブリやピクサーも見ます。その時に、きちんと「終わる」ことを意識します。
ダラダラ見続けない、切り上げる習慣を意識し、映像の刺激に頼らなくても楽しめる時間を大切にしています。
光の刺激だけでなく、自然音以外は音のない時間を持つことは非常に大切です。
ポイント: 読書、ボードゲーム、あるいは先日の記事でも紹介した「メダカの世話」など。指先や体を使う遊びを通じて、集中力と情緒の安定を育んでいます。
塾に行かせることで「親の安心」を買っていないか?
教育熱心な保護者の方とお話ししていると、ふと感じることがあります。それは、「塾に通わせていることで、親である自分自身が安心したいだけではないか?」という視点です。もちろん、塾に通わせる理由はご家庭によって様々です。
●勉強を教える自信がない
●仕事で忙しく、勉強を見てあげる時間が取れない
●どう導けばいいか分からず、プロに任せるのが最善だと考えている
「やらないよりは良い」という思いで通わせることも、立派な親心の一つです。
しかし、そこに「塾に行かせているから、家庭での教育は大丈夫」という一種の“落とし穴”が隠れていることもあります。
家庭学習を選択するということは、その「親の安心感」を一度手放し、子どもの学習状況や心の動きに、親が真っ正面から向き合うという覚悟が必要になります。
これは大変なことですが、その分、子どもの小さな変化や成長を一番近くで感じられるという、かけがえのない喜びにも繋がっています。
塾なしでも学力を維持するための「親の関わり方」
塾に行かない分、学習のスケジュール管理やモチベーション維持は家庭の役割になります。
教えるのではなく、伴走する
…答えを教えるのではなく、「どうやって解こうか?」と一緒に考えるスタンスを大切にしています。
「なぜ勉強するのか」を話し合う
…テストの点数だけでなく、将来どんな自分になりたいかを親子で対話する時間を設けています。
周りとの「違い」をどう乗り越えるか?―選択肢を「整える」親の役割
わが家では、世間一般でよく言われる「よそはよそ、うちはうち」という言葉を直接子どもにぶつけることはしません。
代わりに、「世界には色んな考え方がある」「何が普通かは、国や地域、人によって違うんだよ」という広い視点を伝えるようにしています。
その上で、親として大切にしているのは「選択肢の質を整える」ことです。
これも、個人主義/集団意識/モラル/均衡などなど…バランスが難しいですが、簡単に言うと、
親や先生の言っていることが全てではない、ということを「言う」のではなく、子どもながら「自分でなんとなく気がつく」ことを促したいのです。
1. 「なんでも自由」ではなく「セレクトした中から選ぶ」
情報も物も溢れすぎている今の世の中で、子どもに「なんでも好きなものを選んでいいよ」と丸投げするのは、少し酷な気がしています。
選択権は子どもにありますが、あらかじめ親が「これは価値がある」と信じるものをセレクトし、その中から選んでもらう。
例えば、「これ使えそうかな〜?」「この本ね、お母さんのお気に入りなんだ」というさりげない提案が、子どもが質の高い情報に触れるためのガイドラインになると考えています。
子供はお母さんが大好きです。なので、幼児期は特に、お母さんが好きなものは無意識で子供も好きになります。
ママこれ好きだったな〜、これ大好き!、おお〜、いいねぇ!気に入っちゃった、すごい!もう一回見せて!、これはすごいぞ!パパとおばあちゃんにも教えよう!などの言葉がけや、
たまにで良いので、子供の前で、親自身が本を読む、何かを真剣に観察する、例えば真剣にブロックを積んで一呼吸置き、四方から眺める…などしてもいいかもしれません。
物であれば、子供の動線にさりげなく配置したり、できれば子供の集中を邪魔しないタイミングで声がけしたり。
とりあえずスマホ、とにかくゲームという環境がないからこそ、ツールを選ぶ余地と、想像する時間が生まれるのです。

2. 「好きなこと」と「依存」を見極める
「好きなことなら、もうやめなさい!なんて言わずに見守りたい」というのが親心。でも、そこには慎重な見極めが必要です。
依存(ドーパミン的)なもの
…ゲームやYouTube、ショート動画などは、脳に強い刺激を与え、やめたくてもやめられない「依存性」を伴うことがあります。
興味(考察的)なもの
…読書、スポーツ、勉強、お絵かき、工作、昆虫観察。これらは没頭していても、そこには常に「なぜ?」「次はこうしよう」という自分なりの考察があります。
ご飯の時間になってもやめないものが、単なる一時的な快楽(ストレス発散)なのか、それとも本当の「興味」と「考察」によるものなのか。
そこをしっかり見極め、後者であればその没頭を最大限に尊重してあげたい。それが、塾なし・スマホなし育児で私が一番大切にしている「目」です。

なぜ、デジタルは「やめられない」のか?(脳の仕組みと仕掛け)
「うちの子、意志が弱いのかしら?」と悩む必要はありません。実は、ゲームやショート動画は「脳がやめられなくなるように、プロの手で緻密に設計されている」からです。
たいていの大人はその事実を知っていますし、その上で上手く楽しむ人もいます。
そして「ただ」コンテンツを見つづける、「ただ」ゲームをし続ける人もいます。
小学生でも、薄々その事に感づいて、ゲームを持っていない子に「やんない方がいいよ!」と言ってくる子もいます。
●ドーパミンの「報酬系」を刺激
ゲームで敵を倒したり、動画で次々に面白い映像が出てきたりすると、脳内に「ドーパミン」という快楽物質が出ます。
脳は「もっと欲しい!」と反応し、自分の意志とは関係なく、次を求めて指が動いてしまうのです。
●終わりのない仕掛け
ショート動画が自動で次々に再生されたり、ゲームにログインボーナスがあったりするのは、常にこの「快楽のスイッチ」を押し続けるための仕組みです。
一番の弊害は「他の経験ができたはずの、豊かな時間」が奪われること
私がスマホやゲームの依存性を危惧する一番の理由は、視力の低下や成績への影響もさることながら、「本来できたはずの、かけがえのない経験の時間」が奪われてしまうことにあります。
もし、その「ただ画面を眺めている時間」を別のことに使えていたら……
・家族や友達との、何気ない会話
・外で思い切り体を動かす経験
・本の世界に没頭して想像を膨らませること
・お絵かきや工作で、ゼロから何かを生み出すこと
・時には「ぼんやり」して、自分の内面と向き合うこと
デジタルな快楽は、手軽で刺激的ですが、そこには「自ら問い、考察する」余白がほとんどありません。
成長期の限られた時間の中で、「指先一つで得られる快楽」よりも、「試行錯誤して得られる達成感」を積み重ねてほしい。
これが、私が「選択肢の質を整える」ことにこだわる最大の理由です。

まとめ:スマホがないからこそ育つ「心のゆとり」
スマホなし・塾なしの生活は、一見不便に見えるかもしれません。
しかし、その不便さの中にこそ、試行錯誤する力や、親子でじっくり対話する時間が隠されています。
これからも、流行に流されすぎず、わが家らしい教育の形を模索していきたいと思います。




コメント